1952-05-23 第13回国会 参議院 法務委員会 第43号
このことは当時の文部参與官でありました山桝義重君が親しく私に告げたところでありますが、山桝君が言うには、どうも大本教という宗教はどえらい宗教で、もう日本各地の末端に至るまで支部があり、下部組織がある。そうしてみずから平将門を気取つているというふうに見える。これくらい恐ろしい団体はないのだ、こういうことを私に話しましたのです。日ならずしてこの大本教というものに或る隠密が入つた、警部なんです。
このことは当時の文部参與官でありました山桝義重君が親しく私に告げたところでありますが、山桝君が言うには、どうも大本教という宗教はどえらい宗教で、もう日本各地の末端に至るまで支部があり、下部組織がある。そうしてみずから平将門を気取つているというふうに見える。これくらい恐ろしい団体はないのだ、こういうことを私に話しましたのです。日ならずしてこの大本教というものに或る隠密が入つた、警部なんです。
かく考えますときに、少々とも明治六年に宗教についての勅令が出まして、その後明治十年、十七年と二回改正になりましたが、その後先ほど安藤さんが申し上げたことでありますが、大正十四年の加藤内閣のとき、岡田良平文部大臣のときに、宗教法案が議会に提出されましたが、当時は水野錬太郎、花井卓藏の引延ばし戰術によつて、とうとうあの厖大な質疑をされまして、安藤正純さんは多分その当時参與官であつて、山崎達之輔さんは政務次官
元厚生参與官をし、ただいま賠償庁の政務次官をしておられるということを聞いたのでありまして、私本日をもつて第七国会が終るに当りますのとともに、皆様方とおわかれするかもしれぬのですが、心から皆様方に今までのお礼を申し上げまして、御あいさつにかえる次第であります。ありがとうございました。 本日はこれをもつて散会いたします。 午後三時二十二分散会
それから人蔵省の参與官をしておる関係上個人的には知つておりまするが、こういう問題で一度も飯を食べたこともございません。何ら関係はないのであります。この機会にはつきり申上げて置きます。
この社長は追放者でありまして、名前は田村秀吉氏、この人は戰時内閣時代に石渡蔵相のときに参與官をやられましたる、大蔵省の官吏の経験ある方であります。現在追放者となつておられるのでありますが、この大蔵省の指定会社の社長と相なつておるのであります。現池田大蔵大臣とは、熊本の第五高等学校時代の同窓で先輩であるそうでありまして、非常に懇意な仲だそうであります。
この会社の社長と申しますのは、曾て戰争中の蔵相でありました石渡氏の参與官を勤めておりました田村秀吉君という人であります。この人は目下追放中の者でありまするが、大蔵省に曾て参與官をしておつたというところから顔がきくので、大蔵省内で暗躍をしたと、こう伝えられております。やはりこの問題も追放令違反に関連した問題だと見なければなりません。
一例を上げますと、何か元大蔵参與官であつたある人が、特別の会社に横合いから入つて行つて、その会社の社長となつて、大蔵省に一種の顔をきかせて、たいへん強引な事柄をやつておる。しかもそれのみならず、その某氏をめぐつて省内に——私はこれを信じたくはないのでありますけれども、いろいろな風聞がそこから持ち上つておる。
田村秀吉氏は、戰時内閣時代の大蔵参與官であつて、追放該当者になつておるのでありますが、この人がこの大蔵省指定の会社の社長であるということは、追放政令に違反する点があるかないか、まずこの点をお聞きいたしたいと思います。
○猪俣委員 次にお尋ねいたしますることは、追放該当者が——田村秀吉氏は大蔵省の参與官をやつておつたのでありまするが、自分の勤めておりましたこういう省に出入することは、禁止されているのじやないかと思うのでありますが、そういう意味におきまして、この田村秀吉氏が大蔵省へ出入りしておつたとするならば、これは追放令違反になるのであるかどうか、その点お聞かせ願います。
しかしながら一般に覚書該当の方々が、官庁に漫然と出入りされるということにつきましては、それ自体が勅令一号の違反にはならない場合におきましても、メモランダムの趣旨から好ましからざる事態でありまするので、先般来特別審査局におきましては、各官庁の長に対しまして、かような好ましからざる事態をできるだけ排除するように警告を発しておるような次第でございまして、田村秀吉氏が追放になりました原因は、大蔵省の参與官であつたという
又曾ては鉄道参與官として敏腕を振われ、現在は社団法人日本船主協会の会長として活躍せられ、海運界における重鎭であられたのであります。 板谷君は政治家として、又実業家として、責に畏敬すべき方でありました。
参與官の項を削除したという点につきましては、これは結構なことだと思うのであります。姥捨山のようなこの参與官が切捨てられるということは、いいことなんであります。併しこれは極めて区々の問題でありまして、この運輸省設置法案が持つところの根本的な性格を何ら変えていないのであります。この設置法案の最も大切な点はどこにあるかと言いますと、これは第二章第一節の運輸審議会にあるのであります。
これは別に申上げなくてもいいことでありますが、鈴木さんにお答えした順序でございますが、これは例の政務次官、事務次官、参與官というように、並べるときにいたしておりましたのが、今度政務次官、参政官、事務次官という並びになるのではないであろうか。これは仕事を離れた意味合で申上げたのであります。
それからもう一点の参與官と類似の形に参議院の方の政務次官がおかれておるというふうなことは、ちよつとそうでしようか……。部屋なんかそうなつておるようですけれども、一般はどうかと思いまするが、若しそうだということになれば、今度本当の政務次官にやはり半数ぐらいは、参議院の方からもお入りになるということになるだろうと思いますから、格上げになつて、参議院としては非常に有利になるのじやないでしようか。
参議院の政務次官の方は、実際上は昔の参與官のように扱われておるわけです。そうすると、これは政府提案で出ておればそこらのことの質問がし易いのですが、議員の共同提案で出ておりますので、我々が審議上においても……、任命権が内閣にあるのです。任命権が衆議院にないのです。
ことに國会議員ともあろうものが秘書とか参與官、あるいは政務次官というような行政府の肩書をもらうことによつてそれに甘んじ、むしろそれを求めるような傾向は避けなければならないということで、われわれは國会法の三十九條をつくつた経験もあるわけであります。そういう点から言つてむしろ参政官制度は國会の権威を軽んずることになるのではないかと今憂いおるわけであります。
私も大藏省の参與官をちよつとやつたけれども何のことかわからない。これは公知の事実なんでありますから、とにかく一たび獲得した國会議員の権限と言いますか、もしくは民権の勝利の一つの現われと言いますか、そういうものを一片の官僚の反撃、逆襲で奪回されたのでは、とうていわれわれの期待する理想的な民主政治はできないと思う。
原則として二人あるということは、参與官、政務次官なら、まだ階級があるが、同じものが二人同じ部屋に並んでおつて、どちらが副大臣であるかわからない。そうして省内においても困つておる。本人同士も非常に困つておる。これはやはり副大臣的存在ならば一人でよかろうというのが、私の意見でもあり、同僚のすべての意見である。大多数は一人で、二人あつてはいかぬ。
○武藤委員長 もう一遍繰返しますと、來ると言われたのは厚生大臣芦田均氏、代議士中島守利、同花村四郎、同外務参與官塩月學、中曽根幾太郎、前代議士藤川文六、前檢事長石塚揆一、前判事弁護士小暮勝利、屋代檢事、こういう諸君たちですね。
○水野證人 まず二百五十万円は、というよりも、結局中曽根幾太郎氏及び塩月参與官たちと会いまして、自由党に一着百円の割で献金をしてもらえば軍服を拂下げるということから、その金が出たわけであります。
○綿引証人 中曽根個人だけでありますれば、さほど信用しませんでしたけれども、その当時の外務参與官をしておりました塩月さん、並びに藤川さんという人がついておりまして、詳しい交渉は知りませんけれども、間違いがないというような話合いだつたものですから、それで渡したのであります。最初の出発のときの状況は、ここに小川氏がおりますから、小川氏から説明をさしてください。
○中曽根証人 私が辻嘉六さんに初めて面会する機会を得ましたのは、たしか昨年の三月中旬ころと思うのですが、当時外務参與官をしておられた塩月学君の紹介で私は牛込の辻邸を訪れたのであります。それはただほんの顏合せというような意味で、塩月君の言われるままについて行つたにすぎないのであります。第二回目にはやはり塩月君と同行いたしまして、これは金をもつて辻邸を訪ねたのであります。
それから当時塩月君が外務参與官をやめまして、役所の自動車が使えなくなつたというので、自動車を一台購入した。これらの点は否認されておりますが、まだそのほかに料亭の費用、自動車賃、各関係者の飲んだ費用一切を支拂いまして、たしか私の手もとから立替金が出ておりまして、約七十二万円くらいと思つておりますが、私の方からマイナスになつております。この点は公判廷に詳しく出ております。
○中野(四)委員 私のお伺いしたいと思う点がかなり委員長から問われておりますから、重ねてお伺いすることを避けまして、世耕君と塩月君との関係でありますが、政友会時分からの御交友と承りますが、塩月君は当時外務参與官として、この軍服事件に関して中曽根君より依頼を受けて、相当各方面に斡旋これ努めたと言つておるのでありますが、塩月君から証人に対して軍服拂下げの依頼をされたことがあるかどうか、それからさらに藤川君